石井久とは何者か。
伝説の相場師ランキング1位、
「最後の相場師」の目
警官から相場師へ。大暴落を2度予言した男の、たった一つの武器
日本の伝説の相場師ランキング、1位。
是川銀蔵でも野村徳七でもない。石井久という男だ。
農家の五男に生まれ、警察官を経て、元手3万円から証券会社を作り上げた。
30歳で「相場の神様」と呼ばれ、92歳で死ぬまで勝ち続けた。
その目には何が見えていたのか。
警官から相場師へ──異色すぎる経歴
石井久は1923年、福岡県の小農家に13人兄弟の7番目として生まれた。裕福とは程遠い出発点だった。
尋常高等小学校を卒業後、鉄工所勤務を経て上京。弁護士を目指して上京したが、やがて進路を変え24歳で警視庁の巡査となった。同年、5歳年下の愛子と結婚し、旧姓の藤井から石井姓に改めた。
警察官を辞めたのは1948年。その後の行動が面白い。証券界に入りたかった石井は、東京自由証券に「無給でいいから何でもやらせてくれ」と頼み込み、見習いとして潜り込んだ。半年間、一通りの仕事を経験した後に歩合外務員として独立。元手3万円があっという間に数千万円に膨れ上がった。
13人兄弟の7番目・五男
鉄工所勤務を経て上京後に入職
半年後に歩合外務員として独立。元手3万円→数千万円
社員13人・資本金500万円でスタート。同年「スターリン暴落」を予言し的中
東証正会員の立花証券を買収し念願の正会員会社のオーナーに。合併後・社員60人・資本金3,000万円
同年「バブル崩壊」を予見。翌1990年に的中
「最後の相場師」の異名を持ったまま生涯を全う
18歳の最初の成功体験──「反物」への投機
石井久の投資家としての原点は、相場を始める前にさかのぼる。まだ10代だった石井は、日米の国力差から日本の敗戦を早々に確信していた。
「敗戦後、世の中はインフレになって現金の価値が下がる」。そう読んだ石井は、第一次世界大戦後のドイツで何が値上がりしたかを調べた。砂糖・塩・衣類が該当したが、保存が難しい砂糖や塩ではなく、反物(着物の布地)に着目した。
わずかな給料から毎月手元に残った2円を使って、反物を買い集める「反物貯金」を始めた。戦後、予想通りにインフレが訪れ、買い集めていた反物の価格は10倍近くまで上昇した。
石井久の原点にある3つの思考プロセス
① 歴史から学ぶ(第一次大戦後のドイツを調べた)
② 何が来るかではなく「何が上がるか」まで考える
③ 少額でも行動に移す(月2円の反物貯金)
この体験が、石井の投資哲学の土台になった。「理論から入るのではなく、体験から入り、その後に理論を学ぶ」という逆コースを歩んだ投資家だ。
30歳の予言──「桐一葉 落ちて天下の秋を知る!」
1953年。朝鮮戦争の特需で日本の株式市場は沸騰していた。大多数の投資家は戦争がまだ続くと見て買いを膨らませていた。30歳の石井久だけが、全く異なる見方をしていた。
石井が着目したのは2つのシグナルだった。戦略物資関連の市況が動いていないこと。そして、アメリカの新聞がソ連の最高指導者スターリンの重体説を報じていること。この2点から「朝鮮戦争の停戦→株価急落」を読んだ。
「桐一葉 落ちて天下の秋を知る!」
── わずかな前兆から大きな崩壊を読む、という意味だ。ペンネーム「独眼流」による相場への強烈な警告記事
翌月、スターリンが死去。相場はわずか2ヶ月で37.8%急落し大底に沈む「スターリン暴落」が現実となった。30歳の石井は一躍「相場の神様」として兜町に名を轟かせることになった。
📌 「独眼流」というペンネームについて。石井久は26歳から株式新聞でコラムを無給で書き始めた。このペンネームが彼の名を広め、スターリン暴落の的中により一躍有名になった。後に立花証券の看板コラムとなった「立花月報」は現在も続いている。
石井久の投資手法──相場を「富士山」で読む
石井久の投資哲学は、個別銘柄の分析より「相場全体が今どこにいるか」を読むことから始まる。
富士山理論──相場の「何合目」かを測れ
石井は景気の動向を「富士山」に例えた。相場全体が現在どの「合目」にあるかを把握することが、すべての判断の出発点だ。
大底・買い場
上昇途中
高値圏・警戒
「優等生を買い、劣等生は損切り」の鉄則
多くの投資家がやってしまう逆の行動を石井は「ナンセンス」と切り捨てた。
多くの人がやってしまうこと(間違い)
少し儲かったらすぐ利食い → 損している株をそのまま持ち続ける
石井久の鉄則(正解)
見込み違いの劣等生は勇敢に損切り → 利が乗っている優等生を買い足す
情報源の8割は活字から
「どんな情報ルートをお持ちですか」とよく聞かれたが、石井の答えはシンプルだった。「8割が新聞・雑誌・書籍。耳学問は残りの2割にすぎない」。特別なコネや内部情報ではなく、公開された情報を誰よりも深く読み込むことが武器だった。
バブル崩壊の予見──66歳の静かな警告
1989年末。日経平均株価が38,900円という史上最高値をつけた。日本中が熱狂に包まれていた。
石井久は1年以上前から、近しい人間に対してこう言い続けていた。「近いうちに暴落がくる。手持ちの金融資産と不動産を現金に換えておくように」。
「今の株式市場は、
理屈があてはまらぬ異常な時代だよ」
最高値をつける約1ヶ月前の発言
1990年の年明けから、株価は奈落の底へと急落した。スターリン暴落から37年後。66歳の石井久は、再び正しかった。
2度の予言を可能にしたのは特別な情報でも天才的な直感でもなかった。「相場に過去はない。しかし歴史は繰り返す傾向がある」という信念のもと、過去の事例を徹底的に研究し、大衆心理の過熱を冷静に観察し続けたことだ。
石井久の格言──92年分の言葉
石井久は立花証券の社長時代に『実戦に役立つ相場格言』という冊子を作成している。体験に裏打ちされた言葉は、70年以上が経った今も色褪せない。
歴史から学ぶことは必須だが、相場は常に変化する。過去と全く同じことは起きない。この謙虚さが2度の予言を可能にした。
含み益は確定した利益ではない。浮かれた瞬間に判断が狂う。利益は売るまで幻だ。
よく知らない銘柄を人の噂や情報だけで買うな。自分が理解できる企業・業界の株だけを買うのが鉄則。
致命的な損失を避けること。そのためには損切りの判断と実行が経営者と相場師の両方に求められる。
市場は個人の思惑を超えた動きをする。自分の読みが正しいと思いすぎるな。市場の声に耳を傾けろ。
勝ち続けた男の生活習慣
石井久が92歳まで勝ち続けられた最大の秘訣は、相場の技術だけではなかった。その生活と精神性にあった。
📌 「夜10時に寝て朝6時に起きる」生活を60年以上続けた。暴飲暴食を避け、驕らず、愚痴を言わず、他人の10倍の努力を惜しまなかった。「儲かるタイプに変身していくこと」をコツと語った。相場師の生き方は、生活そのものが土台だった。
1989年に私財を投じて「石井記念証券研究振興財団」を設立し、証券市場の研究者や学生への助成を続けた。自分が学んだ世界への恩返しを、死ぬまで続けた男だ。
石井久の言葉の中で、一番刺さったのはこれだ。「理論から入るのではなく、体験から入り、その後に理論を学ぶ」。
相場に限らず、何かを本当に理解するためには、先に体験がなければならないと思っている。本を読んで頭に入れた知識と、実際に動いて傷ついて得た知識は、似ているようで全く別物だ。
石井久が18歳で反物を買い集めたのも、証券会社に「無給でいい」と飛び込んだのも、理論より先に動いた結果だ。動いたから気づけた。動かなければ、知識は知識のままで終わる。
伝説の相場師ランキング1位という肩書より、この「動き続けた人間」という側面に、私は最も惹かれている。
── KABU-KIX
相場に過去はない。
過去に学べ、しかし過去は繰返さず。
── 石井久
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生没年 | 1923年〜2016年(享年92歳) |
| 異名 | 「最後の相場師」「独眼流」「相場の神様」 |
| 主な功績 | スターリン暴落(1953年)・バブル崩壊(1990年)を事前に予言し的中 |
| 経歴 | 鉄工所→警察官→証券マン→江戸橋証券創立→立花証券買収・社長 |
| 投資スタイル | マクロ(富士山理論)→優等生銘柄の長期保有→高値圏では短期売買 |
| 情報収集 | 8割が活字(新聞・雑誌・書籍)。特別な情報源なし |
| 代表的な格言 | 「相場に過去はない」「評価益を呑むな」「知っているものだけ買え」 |
本記事は歴史上の人物・投資家に関する情報提供を目的としたものです。記載している投資手法・格言は石井久氏の考え方を紹介するものであり、特定の投資行動を推奨するものではありません。投資には元本割れのリスクがあります。実際の投資判断はご自身の責任において行ってください。