茅場町・日本橋人形町 コロナ禍ぶりの開運さんぽ
——相場が荒れたら、参拝しましょう
摂社日枝神社から椙森神社まで、証券街に点在する6つの社寺をめぐる。汗をかき、手を合わせ、少しだけ心を整えてから、また相場に向き合う。
6年前、コロナショックで相場も心も大荒れだったあの夏、ふと思い立ち、気の向くままこのルートを歩いた。茅場町から人形町へ、証券街に点在する小さな神社や寺をつなぐ、1時間ほどの散歩コース。今回、6年ぶりに同じ道を歩いてみることにした。熊本で大きな地震があったこともあり、平穏無事を祈りながら、そして日々の感謝を伝えながら、歩いてみようと思ったのだ。
また危険な暑さがやってきた。本来なら外出を躊躇うような真夏日だが、あえて足を運ぶことにした。汗をかきながら歩くのは、コロナ禍の相場を生き抜けたことへの感謝と、今もこうして株式投資を続けられている喜びを、あらためて噛みしめるためでもある。今回のルートは、歩数にしておよそ8,000歩ほど。この「開運さんぽ」で巡った神社仏閣を紹介するので、よければあなたも実際に歩いてみてほしい。これも何かのご縁。少しでも運気が上向くことを願っています。

①摂社日枝神社——「上向き狛犬」に運気の上昇を願う
茅場町駅を出てすぐ、東京証券会館の隣にひっそりと鎮座するのが摂社日枝神社。赤坂の日枝神社の摂社にあたり、寛永年間にはこの地が山王日枝神社の御旅所と定められていたという、証券街としては意外なほど古い由緒を持つ神社だ。

鳥居をくぐると出迎えてくれるのが、名物の「上向き狛犬」。他ではあまり見ない、天を仰ぐような造形で、「運気が上向きになるように」という願いが込められているそうだ。なるほど証券街らしいと言えば証券街らしい。

境内には兼務社の明徳稲荷神社もある。柱をよく見ると、寄進した企業の名前がずらりと刻まれているのだが——「山一証券株式会社」「日興証券株式会社」の文字を見つけて、少し胸がざわついた。山一証券は1997年に自主廃業した、かつての四大証券の一角だ。今はもうない会社の名前が、こうして石に刻まれたまま残っている。この街が長く証券業とともにあった証を、思いがけないところで見た気がした。

②兜神社——証券マンが今も足を運ぶ、東証のお隣
摂社日枝神社から歩いて数分、東京証券取引所のすぐそばにあるのが兜神社だ。首都高の高架下、境内はそれほど広くはないものの、朱色の社殿まで参道がきちんと整えられた、思っていたよりもしっかりとした佇まい。明治11年、東京株式取引所(東証の前身)が設立された際、取引所関係者一同の信仰の象徴として造営されたのがはじまりという。

社殿の脇には「兜岩」と呼ばれる大きな岩が祀られており、その手前には「兜石」と刻まれた石碑が置かれている。源義家が奥州征伐の折にこの岩に兜を懸けて戦勝を祈願した、あるいは藤原秀郷が平将門を討った際にその兜を埋めて塚とした——など、由来にはいくつかの言い伝えがあり、これが「兜町」という地名の由来のひとつになっているそうだ(いずれも確たる裏付けはないとのことなので、あくまで言い伝えとして)。証券取引所で日々売買が行われるすぐ隣で、こうして静かな祈りの場が守られ続けているのは、なんだか不思議な光景だ。

兜神社は無人の小さな神社で、御朱印は隣の摂社日枝神社でいただける。お守りは東証の見学施設で頒布されているとのこと。参拝する際は覚えておくと良さそうだ。
③小網神社——今、都内屈指の金運パワースポットは大行列
人形町エリアに入り、次に向かったのは小網神社。今や都内でも1、2を争う人気の金運パワースポットとして知られ、強運厄除の神様として遠方からも参拝者が絶えない神社だ。
到着すると、鳥居の外まで続く長い行列。それだけこの神社の人気が高まり続けているということなのだろう。

正直なところ、この日はゆっくり並ぶ時間もなく、何より神様も日々たくさんの願いを聞いて、少しお疲れ気味かもしれない。そう思うと、今回は列に並んでまでお願い事をするのはやめておこうという気持ちになった。鳥居の前で一礼し、ご挨拶だけして先へ進む。願うより先に、まず感謝を伝える——そのくらいの距離感の方が、かえって気持ちが整う気がした。
④大観音寺——韋駄天様と「ご馳走」の言い伝え
人形町駅のすぐそば、階段を上がった先にあるのが大観音寺。本尊は聖観音菩薩で、鎌倉時代に作られたと伝わる鉄造菩薩頭(東京都指定有形文化財)が祀られている、由緒あるお寺だ。

境内には護法韋駄天尊も祀られている。俊足の神として知られ、盗難除けや身体健全のご利益で親しまれているそうだ。東京マラソンのシーズンには、ランナーたちがお参りに訪れるという話も納得できる。

実はこの韋駄天様、「ご馳走」という言葉の語源になったという言い伝えがある。お釈迦様のために方々を駆け巡って食物を集めたという俗説から、「馳走(速く走る)」の字が当てられ、「ご馳走様」という感謝の言葉が生まれたとも言われている。あくまで言い伝え・俗説として広く紹介されているものなので、真偽のほどは定かではないけれど、走り回って誰かのために尽くしてくれた人への「ご苦労様」という気持ちが込められていると思うと、なかなか味わい深い話だと思う。
⑤末廣神社——「末廣徳の石」に、感謝を置いていく
今回のルートの中でも、個人的に一番心に残ったのが末廣神社だ。400年以上前、この地にあった元吉原の総鎮守として信仰されてきたという歴史を持ち、日本橋七福神のひとつ、毘沙門天を祀る神社でもある。毘沙門天はインド神話の財宝の神クベーラに由来するとされ、投資家や経営者からの信仰も篤いと言われている。

社名の由来も面白い。延宝3年(1675年)、社殿を修復した際に、年季の入った中啓(末広扇)が見つかり、氏子たちがこれを喜び祝って「末廣」の名を冠したのだそうだ。

末廣徳の石の作法
①盆の上に金銭(財)を置く
②手を合わせ、心の中で「いや、すえひろがり」と唱える
③その財を持ち帰る
——持てば徳運が貯まり、使えば徳運が広がるとされている。
よく「5円=ご縁」のような語呂合わせで開運を語る記事を見かけるけれど、正直に言うと、私はあまりこの手の話が好きではない。お賽銭は、語呂合わせのために投げるものではないと思っている。
神社を維持し、掃除をし、お守りを用意し、私たちが気持ちよく手を合わせられる場所を守り続けてくれている人たちがいる。お賽銭は、その方々への感謝として捧げるもの——そう考えるようになってから、参拝がずっとシンプルで、気持ちのいいものになった。今日もそんな気持ちで、賽銭箱に手を伸ばした。
KABU-KIX
⑥椙森神社——恵比寿様と、日本で唯一の富塚
最後に訪れたのが椙森神社。藤原秀郷が平将門の乱の鎮定を祈願したのが創建の起源と伝わり、江戸時代には「江戸三森」のひとつに数えられた、古い歴史を持つ神社だ。日本橋七福神の恵比寿様を祀っている。

境内にあるのが「富塚」の碑。江戸時代、境内で盛んに行われていた「富くじ」——今でいう宝くじの興行を記念して建てられたもので、関東大震災で一度倒壊したものの、昭和29年に再建され今に至る。恵比寿様はくじ運・宝くじ運の神様としても知られており、この富塚と合わせて、金運を願う参拝者に人気のスポットになっている。

拝殿の前では、一羽の鳩がのんびりと羽を休めていた。鳩は古くから神様のお使いとされることもある鳥だ。恵比寿様の神社で、こうして悠々と過ごす鳩の姿を見られたのは、なんだかいい兆しのような気がして、思わずシャッターを切った。
6年越しの答え合わせ
1時間ほどの散歩を終える頃には、すっかり汗をかき、頭の中もすっきりしていた。6年前、大暴落の渦中でこのルートを歩いたときは、正直、藁にもすがる思いだった。今回は違う。荒れ相場のさなかであることに変わりはないけれど、「もう一度歩いてみようか」と思えるくらいには、心に余裕がある。
6年の間に、小網神社は行列ができるほどの人気スポットへと姿を変えていた。一方で明徳稲荷神社の柱には、山一証券や日興証券といった、今はもうない証券会社の名前が変わらず刻まれたままだった。街の風景は少しずつ移り変わっていくけれど、そこかしこに残る痕跡が、この街が歩んできた時間を静かに物語っている。相場が荒れたときこそ、こうして少し歩いて、手を合わせて、心を整える時間があってもいいと、あらためて思う。
運気は整った。これで2026年後半も、きっと利を伸ばしていける気がする。さあ、また相場と向き合おう。